東北自動車道下り線、蓮田SAにある句碑です。
しばらく前の写真です、このあと雨になりました。
行く春や鳥啼き魚の目は泪
芭蕉がみちのくへの旅に出るとき、
千住で見送りの人々と別れた際の句です。
そういえば「奥の細道」や「おくの細道」などいくつかの表記を見かけますが、
中学校の国語の教科書では「おくのほそ道」で統一されているそうです。
なぜかというとこの紀行文には様々な原本や弟子による写本が存在していて、
たとえば柿衞本や曽良本など、
漢字遣いについては様々です。推敲もあり内容や句も違っています。
そのなかで西村本と呼ばれるものは、
芭蕉が元禄七年に最後の旅へ出るときに持っていて、
その芭蕉自筆の外題の表記が「おくのほそ道」という話です。
ただ、この話はどれが誤りであるという話ではなく、
当時でもいくつかの表記があったということだと思います。
江戸中期に行方がわからなくなり、
1996年にその存在が発見された野坡本は芭蕉自筆とされており、
真贋論争ののち、草稿本であることが定着しているようです。
芭蕉の「おくのほそ道」は何故、
いまなお人の心に触れ、読み継がれているのでしょうか。
我が旅の矢立初めや夏の雨

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- 2012/07/25(水) 00:26:02|
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