写真と俳句を続けてきて、
その都度いろんなことを考えたり、思ったり。
コラボレーションとしての写真と俳句は、どちらが上でも下でもなく、
等価である、そう言う人も判るんですけど。
ただ、社会のなかで両者のウェイトが違いすぎる。
いまデジカメやスマホが一般化したこともあって、
撮ることもそれを見ることも、写真の大洪水みたいなものです。
その一方、俳句は写真に比べるとごく少数派の表現世界で、
この二つが現実的に等価とはあり得ない。
また、多くの人は子供の頃から、本やテレビや様々なもので、
常に写真を見ながら生きてきている。
それだけ写真に対する目も自然と養われてきています。
俳句の場合、芭蕉の句くらいは知っていても、
俳人以外で句集を読む人は滅多にいないし、
大多数の人は俳句自体を、そうそう詠む機会がない。
俳句のほうが上だとは決して思いませんけど、
これまでいろんな人を見てきて、
写真家に俳句を詠んでもらって写俳にしようと思っても、
これが難しい。なかなか俳句が詠めないんです。
それとは反対に、力量のある俳人に写俳をつくってもらうと、
いきなり、かなりいいものができる。
玄人ではないにしても、写真くらいは撮ってきているし、
デジカメが発達して、手軽に綺麗な写真が撮れるようになりましたから。
また俳句をやってきて、ものを見る訓練が出来ているみたい。
趣味のカラオケみたいな手軽な楽しみとしての写俳も、
それはそれで有りでしょうけど、そこに居たいとは思わない。
自分としては、やはり優れた写俳の高みを目指したい。
玄人の俳人も写真家も唸らせるような、
そんな写俳を目指したいと思っています。
草笛や夏のけものを愛ほしむ

くさぶえやなつのけものをいとほしむ
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- 2019/06/18(火) 21:31:18|
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