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風と光の散歩道、有希編2b

写真と俳句のコラボレーションと日々思うことを綴ります

天海僧正

江戸時代に天海という僧がおりました。
といってもただの僧ではなく、
家康の政治顧問、つまりブレインのひとりであり、
家康亡きあとも二代秀忠、三代家光の頃まで長生きして、
徳川幕府の黒幕的存在とも言われています。

ところがこの天海、前半生の経歴が曖昧なところが不思議です。
家康の政治顧問になるほどの人物なら、
若い頃から業績なりの話が残っていそうなものですが、
この天海についてはよく判らない。

さてテレビの番組でもたまに話題となる「天海=明智光秀」説です。
信長を滅ぼして、秀吉に敗れた山崎の戦いのあと、
光秀が実は生き延びていた、という話ですが、
年齢的にもこれはちょっとあり得ないでしょう。

ただ、これに根拠がないわけではなく、
たとえば日光東照宮に明智の紋である桔梗紋が不自然に多く、
またその地に近い「明智平」は天海が名付けたという伝承もあります。
そして将軍家嫡子の乳母といえば、
よほど血筋のしっかりしたものでないとなれませんが、
逆賊明智の重臣の娘である、お福(のちの春日局)が、
竹千代(家光)の乳母となっています。
そのとりなしをしたのが天海です。
その他の複数のことからも、天海と明智が妙に結びつく。

そこで仮説のひとつが、天海の正体は、
明智光秀ではなく、その一族であった秀満ではないか、と。
逆賊明智の一族であったことを考えると、
経歴をはっきりさせなかったことは考えられます。
もちろん家康が秀満を知っていて、
有能な家来として扱ったということになりますが。

自分では観ていないのですが、以前テレビの番組で、
天海と光秀の検証を行ったことがあるそうです。
そのとき、残っている筆跡を鑑定したところ、
違っている字も多いが共通点もあり、
天海と光秀は同一人物ではないものの、
近いところにいた人物ではないか、という推測でした。

「天海=明智の一族」説は決定打ではないものの、
天海の正体の有力な可能性のひとつ、と個人的には思います。


再来年のNHK大河ドラマは明智光秀という話が出ているそうです。
まだ決定ではないようですが、若い頃から逸話も多く、
光秀の視点からの戦国時代を観てみたいです。


kumomo rt s


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  1. 2012/09/20(木) 20:14:40|
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