俳縁というものなのか、
ここ数年でいろんな人と知り合いました。
人の値踏みをしている訳ではありませんが、
この人そのうち俳句の大きな賞をとりそう、と感じている人が、
結構何人もいる・・・。
俳句甲子園出身で次にK俳句賞が出るとしたら、この人じゃないかな、
と常々思っていた人がいて、本人の前では言いませんが、
友人にはそれを話したことある。
もっとも、さくっと別の賞を受賞してましたけど。
俳句は勝ち負けではないし、賞もそれがすべてではない、
そう言う人もいて、それはたぶん正しい。
けどやはり、本当にいい句を詠む人を目の当たりにすると、、
自分との圧倒的な力量差を感じてしまいます。
句会でも、舌を巻くというのかな、
忘れられなくなってしまう句とその作者って、たまに居ます。
これからもいろんな人と俳縁ができると思う。
人間ってどうしても自分には甘い見方になってしまうので、
同じくらいのレベルかなと思ったら、客観的にはおそらく、
相手のほうが力量は上です。
こう書いてきて、なんだか自分のダメさ加減を感じる今日この頃です。
俳句をはじめたのが遅かった気がする。
俳句甲子園出身の人って、十代のときに、
遊び半分ではなく、本気で俳句に向き合って、
そのことが大きな財産になっていると思います。
あるいは同世代でも、20代、30くらいから俳句を続けている人は、
俳句に費やした時間と積み重ねた句作量において、
自分などはとても敵わない。
これから先、自分に出来ることは何だろう・・・。
様々な句会に出て、いい句をたくさん詠んで、
それでいてまったくと言っていいほど公には発表しないMさんが、
俳人の理想形のひとつじゃないかな、と思うときがあります。
西瓜食ふ人にポパイの力瘤

すいくわくふひとにポパイのちからこぶ
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- 2016/08/31(水) 23:31:44|
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